RE:LIGHT / VOLUME 01

EPISODE 01 / 09

第1話 「ルカ」

家族の声と、青い光を宿す猫。いつもと変わらない朝。

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RE:LIGHT · 第一巻『失われた日』

第1話 ルカ

― ―

「レイ、起きなさい。遅刻するよー」

一階から母の声がした。

返事はない。

数秒して、もう一度。

「レイー?」

やっぱり返事はない。

母はフライパンの火を弱めると、階段の方へ顔を向けた。

「ルカー。レイ起こしてきてー」

リビングのソファに丸くなっていた黒猫が、ぴくりと耳を動かした。

「ニャ」

まるで返事をするように一度だけ鳴く。

黒い身体がソファから飛び降りた。

床に着地した瞬間、身体に走る青い模様が、朝の薄暗い廊下に淡く浮かんだ。

ルカはそのまま階段を駆け上がっていった。

「ほんと、ルカの方が言うこと聞くんだから」

母が笑う。

食卓でコーヒーを飲んでいた父が顔を上げた。

「俺より?」

「あなたより」

「即答かよ」

母は笑いながら、焼き上がった目玉焼きを皿に移した。

二階。

ルカは閉まっていた寝室の扉の前で止まった。

前足を伸ばす。

とても器用にドアを開けるルカ。

「にゃあ」

反応はない。

「……んー……」

かすかな声。

レイの上に飛び乗るルカ。

「んにゃぁ」

「分かったって……」

寝癖だらけの黒髪。眠そうな青い目。

十四歳の蒼宮レイが、半分だけ開いた目でルカを見る。

「……おはよ、ルカ」

「にゃ」

ルカはレイの上に乗りながら身体を擦りつける。

青い模様が、ほんのりと揺れた。

レイはその頭を撫でる。

「母さんに頼まれた?」

「にゃ」

「やっぱり」

レイは大きくあくびをすると、ようやく身体を起こした。

ルカは役目を終えたつもりなのか、ベッドの上にちょこんと座ってレイを見ている。

「起きたよ。もう大丈夫」

「にゃ」

そう言われても、ルカは動かない。

「……下までついてくる気だろ」

ルカはベッドから飛び降りた。

「やっぱり」

レイが部屋を出ると、ルカもそのすぐ後ろをついてくる。

洗面所で顔を洗っている間も、着替えている間も。

少し離れたところに座って、ずっとレイを待っている。

それは今日に限ったことではなかった。

レイが家にいるとき、ルカはだいたいレイのそばにいた。

階段を下りると、焼いたパンと卵の匂いが漂ってきた。

「おはよう」

「やっと起きた。おはよう」

母が皿を並べながら振り返る。

「おはよう、レイ」

父もコーヒーカップを置いた。

「おはよ」

レイが椅子を引く。

その瞬間、ルカが先に飛び乗った。

「あ」

当然のような顔で椅子の真ん中に座るルカ。

「そこ僕の席なんだけど」

「にゃ」

「知ってるよね?」

「にゃあ」

「絶対わざとだろ」

父が吹き出した。

「今日はルカが学校行くんじゃないか?」

「じゃあ僕休んでいい?」

「ダメに決まってるでしょ」

母がすぐに返す。

レイはルカの身体を抱き上げ、自分の膝へ乗せた。

「はい、ここ」

ルカは不満そうに一度だけ尻尾を振ったが、そのまま丸くなった。

母がレイの前に朝食を置く。

「いただきます」

「いただきます」

レイがパンへ手を伸ばす。

同時に、膝の上から黒い前足がゆっくり伸びてきた。

「ルカ」

ぴたり。

前足が止まる。

「これはダメ」

ルカはパンを見た。

次にレイを見る。

もう一度パンを見る。

「見てもダメ」

前足が静かに引っ込んだ。

父がその様子を見て笑う。

「ほんとに言葉分かってるみたいだな」

「みたいじゃなくて、分かってるよ」

レイは当たり前のように言った。

「な、ルカ」

「にゃ」

「ほら」

「それ返事してるだけじゃない?」

母が笑う。

「じゃあ……ルカ、父さんのところ行って」

レイが言う。

ルカは顔を上げた。

数秒、父を見る。

そしてレイの膝から飛び降りると、父の足元まで歩いていった。

「おお」

父が少し驚く。

ルカは父を見上げた。

「にゃ」

「……俺のところ来たぞ」

「だから言ったじゃん」

どこか得意そうにレイが笑う。

「じゃあ次、母さん」

ルカは今度はキッチンへ向かった。

「はいはい。分かったから、朝ごはん食べなさい」

母は足元まで来たルカを撫でる。

「ルカもレイに付き合って大変ね」

「にゃあ」

「なんでそこで返事するんだよ」

レイは笑いながら、大きくあくびをした。

そのまま眠そうに首を少し傾ける。

すると、足元にいたルカも大きく口を開けた。

少し遅れて、レイと同じ方向へ首を傾ける。

母がそれに気づいた。

「あ、ルカ。またレイの真似してる」

「してないって。たまたまだろ」

レイが頬杖をつく。

ルカはレイを見上げると、その場に伏せて前足の上へ顎を乗せた。

「ほら、また」

「……マジじゃん」

父がコーヒーを飲みながら笑った。

「お前ら、ほんと似てきたな」

「僕がルカに似てきたみたいに言うなよ」

「にゃ」

まるで同意するようにルカが鳴く。

母と父が笑った。

家族の笑い声が、朝のリビングに広がった。

家族が朝食を囲み、レイと黒猫ルカが一緒にあくびをする明るい朝の風景
RE:LIGHT — ILLUSTRATION 01

朝食を終えるころには、時計の針は思ったより進んでいた。

「レイ、時間」

母に言われて時計を見る。

「やば」

レイは慌てて立ち上がった。

鞄を肩にかけ、玄関へ向かう。

もちろん、ルカもついてきた。

靴を履いて振り返ると、ルカは玄関のすぐ手前に座っている。

「ルカ、学校はダメだからな」

「にゃ」

「昨日も途中までついてきたじゃん」

ルカは何も知らないような顔で首を傾げる。

「今日は家にいるんだぞ」

レイはしゃがんで、ルカの頭を軽く撫でた。

「帰ったら遊ぼう」

ルカの青い模様が、ほんの少しだけ明るくなった。

「……返事まで光でするようになった?」

レイが笑う。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね。私もあとで出るから」

母の声。

「行ってらっしゃい」

父の声。

「にゃあ」

最後にルカ。

「はいはい。行ってきます、ルカ」

レイは玄関の扉を開けた。

外から朝の光が差し込む。

扉が閉まる直前まで、ルカはそこに座ってレイを見送っていた。

それは、いつもと変わらない朝だった。

家を出ると、いつもの朝が待っていた。

近所の家の前では、制服姿の生徒が自転車を押している。

通りの向こうでは、犬を連れた老人がゆっくり歩いていた。

コンビニの前には配送車が停まり、店員が荷物を運び込んでいる。

レイは鞄を肩にかけ直し、学校へ向かった。

途中、ふと後ろを振り返る。

当然、ルカはいない。

「……今日はちゃんと家にいるな」

昨日は家を出てしばらくしてから、後ろを振り返ると普通についてきていた。

結局、家まで連れて戻ったせいで遅刻しかけた。

思い出して、レイは小さく笑った。

学校に着くころには、そんなことも忘れていた。

「おはよ、レイ」

教室へ入るなり、クラスメイトから声が飛んでくる。

「おはよ」

鞄を机の横へ掛け、椅子に座る。

窓の外には、朝の青空が広がっていた。

「今日、一限なんだっけ?」

「数学」

「うわ、最悪」

「昨日も同じこと言ってたじゃん」

「数学は毎回最悪なんだよ」

そんなくだらない話をしているうちに、チャイムが鳴った。

先生が教室へ入ってくる。

授業が始まる。

黒板に数式が並び、ノートを取る音が教室に広がる。

レイは途中まで真面目に書いていたが、やがて窓の外へ目を向けた。

雲がゆっくり流れている。

今ごろルカは何をしているだろう。

ソファで寝ているか。

母の邪魔をしているか。

それとも、自分の部屋で勝手に寝ているか。

そんなことを考えていると――

「蒼宮」

「はい」

反射的に返事をする。

「今、どこやってる?」

「……えっと」

教室のあちこちから笑い声が漏れた。

「猫のことでも考えてたか?」

前の席の生徒が小声で言う。

「なんで分かったんだよ」

「お前、だいたいそうじゃん」

レイは苦笑しながら教科書へ視線を戻した。

放課後。

校門を出たレイは、朝と同じ道を家へ向かった。

玄関の扉を開ける。

「ただいま」

奥から母の声が返ってくる。

「おかえりー」

それより先に、廊下の奥から小さな足音が近づいてきた。

タタタタッ。

黒い影が勢いよく走ってくる。

「ルカ」

ルカはレイの足元まで来ると、そのまま身体を擦りつけた。

「ただいま」

レイがしゃがむ。

「ちゃんと待ってた?」

「にゃ」

「ほんとか?」

「にゃあ」

「じゃあ信じる」

レイはルカを抱き上げた。

母がキッチンから顔を出す。

「今日はいい子だったよ。玄関で何回か待ってたけど」

「ほら、やっぱり」

レイがルカを見る。

ルカは目を逸らした。

「今、絶対ごまかしただろ」

「にゃ」

「返事だけはいいな」

レイは笑いながら、そのままルカを抱いて二階へ上がった。

宿題をするときも、ルカは机の横。

ゲームをするときはベッドの上。

夕食になれば、レイの椅子のそば。

気づけば、いつもそこにいる。

夜。

風呂を終えたレイが二階へ上がる。

その後ろを、ルカがついてきた。

寝室の扉を開ける。

部屋は真っ暗だった。

レイは入口で足を止める。

「ルカ、お願い」

ルカがレイを見上げた。

次の瞬間。

黒い身体に走る青い模様が、ゆっくりと明るくなる。

淡い青色の光が床へ落ちた。

ベッドの脚が浮かび、机の輪郭が見える。

「ありがと」

レイはその光を頼りに部屋へ入り、壁のスイッチを押した。

ぱっと照明がつく。

「サンキュー、ルカ」

暗い寝室に、青く発光する猫ルカとレイが入ってくる場面
RE:LIGHT — ILLUSTRATION 02

「にゃ」

ルカの光が弱くなり、いつもの淡い明るさへ戻った。

レイにとって、それは特別なことではない。

昔から、ルカはこうだった。

いや――。

昔からだっただろうか。

寝る支度を終えたレイは照明を消した。

暗闇の中、ベッドへ飛び乗ったルカの青い模様が、ぼんやりと浮かぶ。

レイの隣で丸くなる。

「ルカ、いつも綺麗だな」

ルカの耳がぴくりと動く。

レイは青い模様を指先でなぞるように撫でた。

「いつからだっけ?」

少し考える。

幼いころのルカは、今とは少し違っていたような気もする。

けれど、はっきりとは思い出せない。

毎日一緒にいるうちに、いつの間にかこれが当たり前になっていた。

「……もう忘れちゃったよ」

「にゃ」

「ルカも覚えてない?」

ルカはレイの顔をじっと見る。

そして何も答えず、レイの腕に頭を乗せた。

「そっか」

レイは笑った。

「おやすみ、ルカ」

「にゃあ」

部屋の中で、青い光だけが静かに揺れていた。

翌朝。

レイが目を覚ますと、最初に見えたのはルカの顔だった。

枕のすぐ横。

青い目が、じっとこちらを見ている。

「……近いって」

「にゃ」

「まだ母さん呼んでないだろ」

ルカは答えず、レイの頬へ前足を乗せた。

「起きる。起きるから」

レイが笑いながら身体を起こす。

カーテンを開けると、朝の光が部屋いっぱいに入ってきた。

ルカの青い模様は、昨夜よりずっと薄く見えた。

「今日はちゃんと起きたぞ」

一階へ下りると、母が少し驚いた顔をした。

「珍しい。今日はルカに起こされる前に起きたの?」

「起こされたよ」

「やっぱり」

父が新聞から顔を上げる。

「そのうち目覚まし時計いらなくなるな」

「もういらないかも」

レイが椅子に座ると、ルカもいつもの場所へ来た。

昨日と同じ朝。

同じ食卓。

同じ声。

何か特別な予定があるわけでもない。

レイはパンを食べながら、母と父のどうでもいい会話を聞いていた。

それがずっと続くものだと思っていた。

「行ってきます」

玄関で靴を履く。

「行ってらっしゃい」

母が言う。

「忘れ物ないか?」

父が言う。

「たぶん」

「たぶんって何よ」

レイは笑いながら扉を開けた。

足元では、ルカが昨日と同じように座っている。

「今日はついてくるなよ」

「にゃ」

「帰ったら遊ぼう」

レイはルカの頭をひと撫でして、家を出た。

学校。

午前の授業は、いつも通り退屈だった。

先生の声。

黒板を走るチョークの音。

ページをめくる音。

窓の外から聞こえる、体育の授業の笛。

レイは頬杖をつきながら、ノートへ文字を書いていた。

少し前の席では、誰かが小さくあくびをしている。

別の誰かは、先生に見つからないよう机の下でこっそり何かをしていた。

何も起きない。

何も変わらない。

ごく普通の一日だった。

壁の時計の秒針が進む。

午前十一時十六分。

先生が黒板へ新しい式を書き始めた。

レイはそれをノートへ写す。

十一時十七分。

カタ。

机の上のシャープペンが、ほんの少し転がった。

レイの手が止まる。

窓ガラスが、小さく鳴った。

「……地震?」

誰かが言った。

次の瞬間。

ドンッ。

教室そのものが、下から突き上げられた。

EPISODE 01 — END✧

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

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